伝統的な大工技術と革新的な施工技術の両立
第6弾は、中村建設株式会社です。
2017年11月19日、宮代町の全ての企業を代表すると言っても過言ではない、業界が誇る中村建設㈱。その第5代社長に、中村英基代表取締役が就任されました。弊社にとって英基社長は、特別な存在です。このうれしいお知らせは、全社を挙げてお祝いしたほどです。実は1996年(平成8年)から5年間、英基社長は何と弊社の現場監督として入社され、施工管理の「いろは」を修業。3棟に及ぶ施設建設に携わり、岩堀の企業文化を誰よりも吸収。次への飛躍に備えて一生懸命働いていた姿を、当時の社員で知らない人はいません。「所詮腰掛の一時期」という安易な気持ちは微塵も見せず、何事も積極的に自ら進んで仕事を覚えようと、先輩社員に必死に食い下がっていた様子は今でも弊社の語り草です。 そんな英基社長を育てた中村建設は、明治20年の創業。なんと初代中村武八氏が大工として身を起こしてより130年を超え、5代に亘って宮代町で建築業を続けているのです。現在のゼネコンとしてのスタイルを確立したのは、3代目の良正氏(社長の祖父)の時、若き現会長の幸雄氏(社長の父)が都内ゼネコンで鉄筋コンクリート造を学び、1級建築士として戻ってきた昭和40年前後から始まりました。 以前は大工業として昭和30年代に農家の住宅を建築、あるいは駅近の農地を活用して木造貸家を建築するなどが大半でした。宮代町が初めてS造の建物を発注したのは、1つの公民館。中村建設もゼネコンの入札に初めて参加。全く様子が分からなかった幸雄会長(当時専務)は、他社が木造しか建てられないこともあり、難なく落札、中村建設にとって第一号のS造建築です。もちろん現場所長は若き日の幸雄会長。 | 本社前でにこやかに握手を交わす 幸雄会長(左)と英基社長(右)
中村新社長が岩堀建設に入社した当時 写真中央の黒スーツの青年が英基社長です! | ||
このことを契機に、次は無謀にも4階建ての中学校に1社で参加。競合は都内大手や県内大手、何ら戦略を立てないことが良かったのか、何と落札(現在の価値では5億以上)。今の時代ならJVで請け負うところ、1社のみで担当することになり、全社員で5名しかいない中村建設にとっての本当の正念場を迎えることになりました。しかし中村親子(英基社長の祖父と父)は、この最大の難関を見事に乗り越え、結果的に宮代町民にその存在感と信頼を深めることになったのです。 こうしてこの度、第4代幸雄氏から第5代英基氏にバトンタッチ。幸雄会長は、「堅実に、宮代町の信頼を裏切らない経営で、第6代、第7代と継承し続けて欲しい」とご自身の体験を通した思いを語っていました。一方英基新社長は、「伝統的大工の技は残し続け、ゼネコンとしての新しい施工技術も伸ばせるユニークな地域企業を見据えます。私自身、常に率先垂範で動き、考え、現場を大切にする経営を忘れずに、代々の伝統ある『経営の責任は社長一人が持つ』という社長の信条を命に刻み、社員との関係はフラットに、会社の在り方を継承していきます」と力強く語り、「社長室など持たないのが当社の伝統」と、社内にいた社員に気さくに声をかけ、明るく爽やかな雰囲気を大事にされていました。
中村建設株式会社HPは→こちら!
| |||
思い出が沢山詰まった、創業当時から使用している加工場を背に |