栗原工業有限会社の経営継承

 「信用第一」は、高い技術と正確な製品を納期に納めること。

第10弾は、栗原工業有限会社です。

 

 創業者栗原和一氏(前社長)は、川越市かし野台(旧大東地域)の農家の三男坊として生まれ育つ。弟の東一氏(故人)と共に実家を離れ、板橋にあったサッシメーカーで9年間修行する。昭和47年高度成長期の真っただ中、満を持して弟東一氏と共に独立。実家から受け継いだ現在の地に、建築装飾金物(ステンレス)の設計、施工する会社を設立。設立当時は、ちょうど長男博氏(現社長)が2歳になった頃で、和一氏33歳、無我夢中で若さと情熱に溢れた挑戦だった。「独立後の4年間、以前勤務していたサッシメーカーの下請けとして寝る間も惜しみ休みなく、ただひたすらに仕事を続ける毎日だった」と和一氏は述懐する。新社長の博氏は、そうした懸命に働く父親の仕事場が小さい頃の遊び場、「休むことなく働き続ける父親の背中をじっと見て育った」と博氏。

 

未来を展望する新社長

 

 

創業時を語る前社長

 

昭和53年、「入間川病院新築工事」のエキスパンション作成を担当したことが、当社との出会いだった。当時現場の次席には永田(現積算部長)、係員には入社して2年の西谷(現品質管理課長)、皆若かった。

この工事の屋上作業に差し掛かった時、大きな地震にみまわれた。幸い大きな災害にはならなかったが、

この時和一氏は、接合部の隙間が20ミリ~25ミリに広がってしまったことを観察し、エキスパンションの金型をL字型に変えることを提案。以来地震の影響を考えた、L字型金型の工夫した工法が主流になる。まっ直ぐに真面目な前社長和一氏の面目躍如を果たした瞬間だった。以来ステンレスの特殊金型加工は、栗原工業に託せば間違いないと定評に。新社長に受け継いでほしいモットーは「製品の正確な寸法を納期通りに納めることで、お客様から信頼を得る:『信用第一』」と。

このモットーを受け継ぎ今年50歳の節目でバトンタッチした新社長は、高校卒業と同時に平成2年入社し、家業一筋に技術を磨き前社長を支えてきた。もともと機械科の出身だった為、夜間高校の建築科で学び直す苦労人。「精度の高い製品をつくりだすため、更に技術の向上に全集中する」と抱負を語る。課題は「技術の継承をどのように繋いでいくか、しっかりと検討していきたい」と真剣な眼差しで将来を見つめていたことが印象的だった。新社長の博氏は仕事は休みも惜しんで徹底して働くが、季節が冬ともなると、

オフには雪山へ。スキーのインストラクター免許を持ち、プロの指導員として舞子スキー場では知らない人はいない腕前。昨年は全く行けず、コロナの早期収束を願う。

栗原和一前社長は、徳栄会で長年監査役を務めて頂いた。改めてその労に感謝いたします。

誠に有難うございました。

 

「信用第一」のモットーを受け継ぐ

 

 

 

 

親子3人のスリーショット

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