第1回「創業」
創業者 岩堀徳太郎
1900(明33)年5月6日 現在の川越市、旧福原村今福に大工の四男として生を受ける。
兄弟は皆大工。徳太郎も小学校卒業後、大工の見習いとして働き始めた。暮らしは貧しかった。
徳太郎は27歳の時、腕と経験、知識を買われて、川越少年刑務所に奉職した。収容者の少年に木工や大工仕事を教えた。徳太郎は、口はうるさいが、率先して丁寧に教える。罪を犯した少年たちは気性が荒く、手に負えない者が多かったが、徳太郎にはよくなついたという。 |
創業 設立
昭和19年の終わり、日本の敗戦を確信した徳太郎は当時勤めていた藤木工務店を辞め、少年刑務所時代の縁で中矢工業で働きだす。中矢工業は軍需工場で木工器具を制作していた。
昭和20年、今の岩堀建設の地に中矢工業南営業所を作り、一切を切り盛りした。が、「このままでは展望は開けない。少年時代からの技術者としての夢の実現は今を除いては無い」と決意するのである。
1945(昭20)年、45歳の時に創業。正式に「岩堀建設工業株式会社」を設立、登記したのは3年後の昭和23年10月29日である。資本金は30万円であった。 |
企業理念『生楽以業』
朝鮮特需により帝国火工品製造からの発注に恵まれた折、浅沼工場長から贈られた言葉。
「業をもって、楽しく生きる」
浅沼氏が揮毫した書は、現在も本社役員応接室に飾られている。この理念は脈々と受け継がれ、全社員に浸透し、決して褪せることの無い指針となっている。 |